緑の都は 愛の都

大好きな博多華丸大吉さんが朝っぱらから「あさイチ」で生で見られるという 幸せな4月がはじまりました。チラチラくらいしか見られませんけど、彼らの良いのは とぼけたおじさんという面白さはあっても 意地悪を言って笑わせる危うさのない安心感につきます。

その上 地元びいきなネタを持ちつつも 東京に居る長さから ちゃんと東京のことも見ていて、東京という都市の中には樹木が多いということを指摘している場面がありましてね、おお、さすが!と 喜び耳だけそっちにグイイイーと向いて、手先は出かける支度を進めました。

案外地方都市の駅前なんか行くと 街路樹もちんまりしてたりってことも結構あったりしますが、東京って巨木を 眺めたいなあという気分には そこらここらで応えてくれるスポットに実は溢れています。

ある日、店の植え込みに植えた植物に気づいた?って聞かれて 全く気づかなかったことを思い出し、また それがなんとも しっくりこなくて、髪切ったのに気づいた?くらいはわかるんだけど 植物のそれの違和感は一体。。。など考えていました。

イギリスには自宅の庭を協会に認定されるとその協会の定めるオープンガーデンの期間に庭を一般の人に公開したりするイベントに参加できるというのがあると テレビ番組の特集で見て、しかもその認定されるまでの様子がずっと記録されていて、認定されなかった庭もオーナーさんの一喜一憂も含めて庭への情熱が並々ならぬもの。

植物を育てることや 、庭をしつらえていくことは 様々な要素の愛情がそこに入っていくことになり、むしろその情熱無しに成り立つものはまずない。

どんなにお金持ちでも 急にゼロから1にしたから 例えば どっかからうちの庭に巨木植えました、はい どーですかー?といかないのが自然を生活にや庭園に持ち込む難しさでもあり、そういうものを愛し続けて積み重ねる楽しさ、醍醐味ではなのではないかと思うのです。

それにそういう熱は植えた人と植物だけの関係で終わらないで 見て楽しむ他の人にも連鎖していくから面白い。

最近 新宿公園のこの角のエリアに立つケヤキが好き。

考えてみると都心の樹木は 人間の手入れがちゃんと入ってて 生活の邪魔になるようなサイズにもせず、 しっかり枝葉を伸ばしている。

あーそれにしても立派だな、君いいね〜ってジロジロ見ていると、向こうも 知ってるわって感じ。

この子らがここに居るか居ないかは この場の心地よさを激しく変えているから そりゃプライドあるだろうな。

今いいね〜って見ている対象は、今しがたの姿を愛でているのだけど、この姿になるまでの手入れをしてきた どこかの誰かのエネルギーも含めて鑑賞しているということ。それ含めてこちらの顔をそっちに向ける引力。

いい香りの人とすれ違ってつい振り返っちゃうみたいな。存在感にあふれた 街路樹に出会うたび、樹木そのものと知らず知らずのうちに人間の優しい営みにも触れているのだと思う。