カテゴリー別アーカイブ: 日々のこと

うずまく

久しぶりに大好きな砂浜に行って
丸腰なので挨拶代わりにそこらへんにある木切れとか貝殻とかで
あれこれ描いてきました。

渦巻をひたすら描き続けてると(布に描くときも同じく)
今日が平和な日だったら
それが少しでも長く続くようにと願う「永遠」って言葉や
「日日是好日」ってのもなんだったっけ?ってよぎる。

その一方で波は容赦なく描いたものを流していく。
かなりマジかなタイミングで。
(写真は、だいぶ流された図です)
人間のじたばたなんて一瞬
それでも砂をあっちにやったり、こっちにやったり、
ざらーっと流されてはまた動かしてを繰り返している自分がいる。

砂を右にやったり左にやったりしながら、
まるで徒労か?と思うような流されっぷり
こんな風に何もなかった一瞬のように
人生って終わるのかな。
それでも右に左に生きていく。
いいじゃないかって気になれるのも海の良さ。

プラスチックごみの海洋汚染が気になるこの頃なので
http://www.afpbb.com/articles/-/3125738
とりあえず半径1mの範囲内のプラスチックごみを拾ってく。
結構あるなあ。

ではよい週末を!

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絵に描いた餅上等

なんだか無性に桜の食べ物が欲しくなって
あっちゃこっちゃウロついてたんですが
結局昨日ですね 桜の木を描いて
寝室に飾って眠り
朝になって、その絵がジャンバワラワラ〜って音立てて
剥がれおちる音で目が覚めました。
(裏を簡単に練り消しで止めてあるだけなので弱かったのか起こされたのか??)
ああー朝っぱらから満足だなあって。

ちなみにマルモッチというのは
丸いお餅が好きでつけた名前ですが
それだけでなくて、

生きている間に見ることは多分ないだろう
地球の中心に何があるのか
世界の中心には何があるのか。
それを自分で仮定して
「この世界の中心は丸いお餅である」と定義してみる。
一瞬心がウキっとするんです。
現実は何も変わっていなくても。

絵に描いた桜も同じようなもんで
本物ではないです。
でも、桜のエネルギーをバリバリ感じながら描いて
飾ってみたら桜の木の下での経験と
これから体験していくかもしれない
未来の桜の情景が心にやってくるのです。

「絵に描いた餅」は
実際には何の役にも立たないことのたとえに使われますが
果たして心の景色に描き
時に絵に描く餅は役に立たないのでしょうか?
とんでもない
絵に描くことから始まるものがあるんですよ!
役に立つかどうかは描いて知りましょ。

3/20の岡崎慎司フットサルフィールド イベントでのハンドメイド体験と、4月のクレパスアートワークショップでお待ちしています!

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下駄はいてこける

「下駄を履かせる」って本来の実力より
点を増してみせる 水増しのことを言いますが
つい最近のこと。

いつもは鍼に行ったりして
風邪とかアレルギーは 適当に付き合いながら
じんわり治してきたのに
薬飲んで症状って消えるんかなーと思って
飲んでみたら、あらビックリ
風邪も花粉症も症状があったことも忘れてしまうくらい
ピタッと止まったのでこれ幸い
元から元気だったんじゃん!?とばかりに
サカサカ用事を済ましまくり
最後にビールとか飲んだ瞬間に思い出した。。。
ああ、体は養生を求めていたよ 君、君って
つい下駄を履いていることなんて忘れて
思い切りこけました。

水増しといえば 何かを作って
人に褒められたり喜ばれることも
結構な下駄をいただくことになるとおもいます。
作り出したい結果の中に人が喜ぶがあったとしても
そこにだけ注視しているとあら大変
人がどっち向いているか
イイネって言われるか否かが命になったり
よほどタフな人間でもない限り
自分が描きたいものと人に認められるからやることの
どちらかなんて簡単に見失う
そんなもんじゃないかと思うんです。

最近イラストを描かれる方の絵を模写をして
SNSに投稿したり販売するという話をいくつか見聞きしました。
著作権に触れる法的な問題もありますし
何しろその作家さんがそれを幸せそうに語っていません。
シンプルな絵は 簡単に模写出来るように見えますが
いきなりその完成形ができたわけではありません。
相応の年月、エネルギーを費やして一枚、
一キャラクターがあります。
ミッフィーの変遷をご存知の方なら
あのミッフィーになるまで60年近いわけですよね。
そこまでのキャラクターを模写すると
たしかにミッフィーそのものが持っているものが
完全に下駄を履かせてくれて
SNSでは イイネになると思う。
でもそれは下駄です。
下駄といえば聞こえがいいけど
正直な気持ち麻薬に手を出しちゃったなあって私は思う。
もちろん模写は楽しいし
好きな作家さんの絵を模写するのはなお楽しい
でもそれを外に出して褒められる楽しさは
風邪っぴきが薬で症状収まって
外に出てビール飲んじゃうっていうのと似ている。
実力がないって自信のなさの上塗り
そこから風邪を治すのは、
これまた 薬飲む前より厄介じゃない??

薬飲んで大人しく寝たり、鍼して寝たり
体にやさしいもん食べて養生する。
絵も下手でもなんでも良いから
自分のオリジナルな絵を一枚でも描く
めんどくさいけど そういうのが一番早道なんだなあと。

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スナック


オラクルカード原画展『オラクルスナック「天国と極楽~ときどき地獄~」』にお越しいただきましてありがとうございます。
残すところあと一週間となりました。
カフェでずっとスナックのことをテーマに展示して
営業妨害?いいえ、共鳴している!!
と一方的に思い込んでいます。

スナックと言えばもう古い飲み屋のイメージでしょうか
バーというような気どった感じも薄く、
近所でサンダルでも行けるような気楽さと
カウンターの内側のキラキラ感
ウイスキーの水割りは妙に美味しく
日常の半歩外側のような世界で
お腹を満たしに行くでもなく
(たまにしっかり食べられるところもあるけど)
どっちかと言うと気持ちが満たされたり、
ゆるみに行くようなところ。

カウンターに並んで座って人の気配を感じていたり
たまに話したりして、
なんとなくうまく治まる人間の業みたいなものがある。
寂しいとかかなしいとか、
出来ないことがあるとか
楽しそうな場面にもそういう裏の感情はあって
それを少しごまかす為に
つい自分を正当化して正義の怒りに変えてみたり
違う感情の上塗りを始めて
本当の本当のネガティブな気持ちは
どこか置いてけぼりになってしまう
そんなときにスナックって
人間はそもそもそういう存在である前提で受け入れる。
落語は業の肯定であるっていうように
スナックは人間のあらゆる感情を肯定するそんな場所なのではと。

だからといってそこで何をしてもいいわけではないし
聖人君子が営業しているわけでもない。
普通の人間のほんのちょっとの「よかれ」
ちょっとでも明日がよくありますようにという軽い祈りのような
そんな思いが形になった場所。
カフェヌックのマスターはここを一呼吸おいて
日常にもどる場所を目指していたり。
(いいなあそういうカフェ。)
世の中がどう流れていようとも
人間はそういう目に見えにくい心の平和の為に
ジタバタできる心強いキーワード
それが私のイメージする「スナック」なのです。

2017年1月30日~2月21日オラクルカード原画展「オラクルスナック天国と極楽~ときどき地獄~」
そこらへんの神さま絵とは?
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クリスマスマーケット

やーまを とーびー たにをこえー
ぼくらのまちへ やってきたー

忍者ハットリくんの歌を歌いたくなるくらい
飛行機で山をひとっ飛び
福岡空港を経由して山口県下関市にトンボ帰った時の写真。

同じ季節 同じ国の中でも
光も色も、見えるものが違う

出汁が違うw
幸せっす
ごぼう天うどんに肉トッピング
関東の味に馴染んでもいますが、
この辺りの味は格別ほっとします。

下関を昼も夜も堪能

関門海峡を眺めながらお茶ができたり。(Uzu House)


よもぎ亭で夜ごはん

最後にまた博多
クリスマスマーケット見ちゃいました。
東京でももちろんクリスマスマーケットはあるのですが、物販部門は結構種類が物足りないところもあり、博多ではウクライナからのショップもあったりと、ああ 私の理想のクリスマスマーケットはこれだった!
ここに来なければというお店ごろごろ必見です!!

東京に住んでいると、
海外の都会に行って素敵な物を見つけても、
もしかして東京に普通売ってたりしないだろうか。。。
とよぎる。実際にそういうことがあるので。
それでまた博多っていうと都会だし。。
全国的なお店なんじゃって一瞬思う。でも違う。
(駅ビル病か!?←勝手に名付けた)
博多のクリスマスマーケットはここにしかないって
ものでいっぱいだったので
近くにお立ち寄りの方はぜひ行って欲しい!
私が買いそびれた分も買い物して欲しい(´ཀ`)
ウクライナの木彫りのオッサン
買わなくて後悔している。。。
ぼつぼつ木彫り始めようかなあ

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「Noble Mari」さんの展示会


国際バッグエキスポ、バッグブランド「Noble Mari」(株式会社ベスト)さんのブースでのお手伝いに。すごいタイミングとご縁あって行ってきました。

爬虫類の革の扱いを得意とする製造メーカーさんが初めてオリジナルブランドを始めること。。。とは今回デザイン、プロデュースで関わられたn .numberの三上さんのブログをぜひ読んで見てください。
私も初めて知ることだらけで、爬虫類革の物作りの面白さ、この形になっていく過程の文化、知恵熱でるかと思う。

今自分が安心して壊れる心配もない、質もあるものをお金さえあれば買える環境にいられるのは改めてすごいことなんだと思う。
(朝ドラのべっぴんさん観てると、お金があっても質の良い物が買えない時代があったよね)
しかもカバンあのクオリティで今から裁断始め、縫えるようになりましょうって思ってもね。。。。無理よ。

しかもあの製造過程を分かった上でデザインを実現出来ないかって職人さんに納得してもらえるようにコミュニケーションしていくこと。アップル製品のような派手さはないですが、まさにコツコツとプロダクトデザインのお仕事。

そんなエネルギー濃いい〜値段もそれなりな製品を展示会でお伝えするのが仕事でしたが、やっぱり濃い〜〜ものに反応される方は濃い〜〜もの好きばかり。不思議なくらいお互い共鳴するもの同士が出会う。(そこに居られる幸せ)

もちろん安かろう まあまあであろうなクオリティが悪いわけではなく その都度お互いの惹かれあうものに出会える、様々な質を選べることが豊かさなのではないかと思うのです。居酒屋だって激安立ち飲みも高級レストランも人生には必要です。^_^

そしてどちらにしても工場で物を作り続けるのは、個人の規模では想像できないような大変なことがいっぱい。だから私は何でも手作りバンザイなわけではないです。

今まで販売員、営業事務員、事務員しながら展示会デザインしたり、占い師、アーティストといろいろやってきましたが、今回はそれらを ぜーんぶ 合わせた能力で、商品に関わる人たちのエネルギーと同じ熱量を必要とする人たちに繋いでいく、ちょっと今までにないスタイルでの関わり方になった気がして います。

必要な知識は関わる皆さんがしっかり教えてくださって、あとは自由に動けてリラックスして取り組める環境を与えていただいたことにも感謝です。



クレパス・アート ワークショップ
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ヨクナ・イイネの心の人だから

続イイネの国の人だもの!?

先日の「イイネの国の人だもの」の続きですが
続きアップしないうちにイイネの国がエライことになってる。
コツコツと個人レベルな話に取り組み続ける
日常を重んじるアーティスト マルモッチであります。

先日のイイネってことを祈りや行動としてできることが
なぜ大事なのか・・・・
(何も迷わず、楽しく絵を描いている方
他人も自分も素敵に見えている方は今日のブログはスルーしてください)

その前に最近絵のワークショップを始めてよく聞くのが
「絵が描けません」
「絵が苦手です」と
目の前にキョンシーの御札のようにそのフレーズ使われるんですが・・・
出来ないと決めているラインはどこなのだろうかということ。

もし、数字の3が書けたら


それを90度倒し・・・お尻になりまーす

漢字でも象形文字ってありますね。
物の形が文字になっているもの。
「雨」って文字が書けているなら
天の雲から水滴がしたたり落ちている様子の
絵を描いてるんじゃあーりませんか。

さあさあ、あなたの「絵を描けている」ってラインは
どこでしょう?
そのモノサシは何をどう図っているのかな
さぐってみましょうね~。

そしてイイネの話
逆に私たちの日常では減点法なことが山ほどあります
オトナ、出来て当たり前
間違ったらお家断絶って言わないけど
そのくらい失敗へのプレッシャーがワンサ・ワンサ
オトナ大変

その時の心のネガティブな声
「しっぱいかも!?」
「まちがってない!?」
「だからできるわけないっていったじゃなーい」とか
「ぜったいしっぱいするー」とか
「ほら きたない」
「へたくそ」
「さいのうなんてあるわけない」
「ちょうしにのるんじゃない」
あと何かな
いろいろ不安なメッセージ、ありますね。
で、それは過去の誰かに言われたことだったりするかもしれないけど
その傷ついた自信のない自分は
人にイイネをいうよりも、
その反対を言ったり、思ったりする側にいたら楽かもしれないです。
感じの良い店員さん、仕事仲間、家族にイイネっていうより
出来ていないことを見つける側に回ってしまう。

でもでもでもでもー
言葉は魔法につき代償がともないます。
(ドラマのワンスアポンアタイムも言ってましたねえ
「魔法には代償が必要」だと)
同じ言葉が自分に返ってきます。

だから人の作品をひたすらアーダコーダ否定する要素を探していると
自分がいざ作品を作ろうとした時に戻ってくるのです。
そしてチャレンジする足を引っ張り続けます。
失敗への恐怖が増します。

私の場合、絵に関して子供のころから大学に入るまで
学校での評価は良くても
家族に肯定的なことを言われたことが実はなく
反対がほとんでした。
そして人の悪口もよく言ってた、
いや、今でもか。。。

だから作家活動を始めても、
心に嫌な会話が舞うのなんのって。
ある時にテレビで
アメリカの刑務所でやっている入所者の再犯防止の脳のコントロール法を
私はその声を消す方法にアレンジしたりと
結構乱暴なやり方をしました。

これは勧められないので
日常に取り組みやすいソフトで効果的な方法は
嫌な感じがしたら、興味ないでスルー、早く離れる
そしていいねって思ったものはイイネを言う
相手の中にイイネを見つけること。
(スマホで写真を撮る時は手軽にできますよ)
シンプル!

だからもし自分が悪口モードになったら
己に返って来る覚悟を決めて言いますよ。ww
潔いのか、ウジウジしてるのかわからない
とにかくヨクナ・イイネの心の人間がどうにかこうにか
元気に絵を描くには?と真面目に模索してうまくいった自分を
分析してヒントになるものをかき集めています。

イイネを送ればそれが跳ね返ってくる
それを自分の描いた絵にイイネ、カワイイネとか送ると
その場でエネルギーが回りだす。
作った言葉じゃなくて本気で思えた時にそう発するの。
人数少な目の回もありますが、
その時は特にじっくり自分で自分の作品とラブラブな対話してください。

誰かに褒めてもらう必要はない自分自身の絵になった時
改めて人からもらうイイネは、
よりパワーアップしてあなたを支えます。
イイネが自分の中ではデスヨネ!にグレードアップ。
絵を描くことになれていくと自分をより深く理解したり好きになり
人の絵のすごいところも見えてくるのです。
(ただし最初から誰でもなんでもかんでもは無理なので
少し回数様子みてね。)

クレパス・アート ワークショップは
手軽にたくさんの色を楽しめて、
絵の中に失敗はない、いつだって変更可能!
そしてイイネを自分の中にも人の中にも見出せる
そういう時間として活用いただければ幸いです。

ワークショップへのご感想
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イイネの国の人だもの!?

去年の今頃でしょうか
雑誌ビッグイシューにダライ・ラマ法王の
インタビューが掲載されていて、
その中で祈りとは行動的なことであると
SNSで有用だって記事をシェアしたりイイネして
それって行動じゃないよって話を読んで
やっベー!って思ったことを
片付けてたら同じビッグイシューの表紙がぽろっと出てきて
ダライ・ラマが笑ってる気がしたw

それで思い出したのが、
先日のニューヨークの旅で見つけたもののうちの一つ。
街で路上ミュージシャンが演奏しているのは
結構なレベルの人しかいない
それが当たり前でスゴイことだなーって思うのですが
実は、そこへイイネって思った人は
10代の若者でも お金を入れていく姿をみたことです。
イイネを行動に表すのです。

Facebookの中のアクションと同じノリやん!

誰かがみているから、
こうする、ああするでもなく
己の良心に従い
(信仰の影響もあるかもしれないですね)
いいと思う音楽、今の数分満足した音楽に
イイネの祈りをアクティブに送る。
(私はなんでもかんでもアメリカの文化がいいと
思っているわけでもないですよ)

道に座る物乞いに対しても
この人を助けるべきだと感じた個人がお金を投げ込む
誰を助けるべきかを 役所に任せておけとか
役所の基準変じゃねえ?ってツッコミを入れる前に
(もちろんそういう行動が役割の人もいるかもしれないけど)
通りすがりのおっさんが話しかけて事情聞いてたり
これはと思う人にお金入れてる
その時その時、自分の今日できる中で行動する
そういう真似したくなる面をみてしまいました。

ただこのイイネアクションの積み重ねが、
ぷらっと音楽を聴きに行くにしても
美術を観に行くにしても
一流レベルのものがソコソコの値段で
一年中いつだって鑑賞できる環境を作っているのだとしたら
小さいと思ってた祈りは、小さいままではない!

そこでワークショップについての話しですが
長くなったので、続く・・・です。

※続きはこちら
「ヨクナ・イイネの心の人だから」

ワークショップへのご感想
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NYの旅 その6 ―気と集中

前日のブログ(NYの旅―その5 多様で差異だらけな中で)の続き。
言葉をアテにできないときに
残る手段、それは気

気合いだーーー!!

すかさず自分の考えを表す気合いです。
その時すぐに英語で言えれば英語でもいいし
日本語ですぐ出るなら日本語で
結局何語を話していても
一番言いたいことをすかさず口にする気の有無
それに尽きるなと思った。

迷って、ああ言うのかなこう言うのかな
発音大丈夫だっけ?って瞬間的な迷いでも
完全にアウト
そのためには常に、自分が今一番手に入れたい状態を
一言でズバって言えるってことが超大事なの、
なんか笑えてくるくらい。
(数日間の個人的にめぐりあったものによる
感想として読んでください)

そのためには、目的に集中する、集中力が要るし。
余計なところに意識をもっていかない。
イエスかノーかならイエスだけど100パーじゃないんです・・
なんて微妙なエクスキューズはなし
ニューヨークで展示したいのか?って聞かれたら
すかさずイエスです。
それ以外のコトバシラナーイ。

とあるギャラリーで初マンハッタンの印象を聞かせてって言われて
即「考えないで、せーので、ファーストインプレッションを!!」
みたいなことを要求されたけど
ここで出会った人たちとは
早いリアクション命のようなことばかりで
今まで体験したことない追い詰められ方で、
すごく楽しかった。

発音がいちいち悪くて「はあ?」って突っ込まれたり
それに対して、こうか?こうか?って
言い直したりもしなくていい。
必死こいた(←この感じがピッタリ)自分の声の調子
自分が自分に一番ウンザリしてたとつくづく思う。

店員さんも、そういう発音も悪くて言葉の足りないお客に
今更イラっとする人も滅多にいないし
それだけそこで暮らす人たちが
多様であること、様々なルーツを持つことに慣れてる。
言葉のわからない外国人に話しかけられたくらいで
逃げ出すことはない。
東京ではかなりあるみたいだから
日頃からこれは見習いたいなあと。

ビビらず、どっしりと。
わからないことを、わからないままに対応する。
わからないままに対応していても
逆に相手がわかってくることもあるんでないか?とか。

自分の考えがまず他者に意味が通じるかどうかでも
伝えるか伝えないかも、全く別のこととして、
まずは自分の本当に思ってることに
アクセスする速さを
今までとは違う方法で手に入れたんだと思う。

お花屋さんは見かけないけど日用品でしっかり花束を売ってるのもいいね。

花壇の色はモダンで、ギューギュー

建物に使われる黒も人が着ている黒も効果的に引き締まって見える気がする。

晴れが続き

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NYの旅―その5 多様で差異だらけな中で

映画「君の名は」みたく
手にマジックで書いておかないと忘れてしまう〜
そんな調子で慌てて旅の日記更新中。

ニューヨークの街で感じたことの大きなテーマの一つ
「多様」であるということ。
言葉は「多様(タヨウ)」の一つだけど
私個人がイメージ可能な「多様」はまだチョット
「多様」って、もっといっぱいのことだったよ!!
そんなに様々なものを見たことがなかったんです一度に。

9月に養老孟司さんの講演で聞いた
犬や猫は一つ一つの生き物を別の個体と認識するけど
人間は同一と認識しやすいって話、
確かに今までは同一としてとらえてたかもって考えなおした。
この差異だらけの街で、犬や猫になれた?

道を歩くだけでおおよそお出身地が
決してわからないミックス具合
もう、ああ。。あんな人いる。
こんな人いる。
見て納得する暇もなし。
公園とかで話しかけられて、国を聞かれたから聞き返したら、
ああ、全然アメリカの人じゃないんだとか
その時点で分かったり、予測不可能。
視覚能力の限界です。

それでも東京の道端を歩いているより、
人の数はずっと少ない印象で歩きやすい。
どんな恰好しててもいちいちじろじろ見られることもないし
他の日本以外の国で感じた、
あ、今黄色いカテゴリーで見たか?ってジロジロもなし。
滞在期間も短いせいか、
罵声も浴びせられるとかもなく
(トランプ騒ぎで結構おかしな人がいるのは知ってるけど)
今頃ほかの国で経験してたのはあれは差別だったのかも!?って
気づいてしまった。

とにかく楽ちんなのだ。

それから今まで外国に行って、
こんなに現地の言葉を話さなかったの初めてで。
会う人会う人
容赦なく自分の言語で話しかけるから
フェリーの乗り方聞いてくる人、
飛行場の荷物受取場で、今こうだったねー的なことを
同意求めてる?って時も
水道の蛇口から水が出ないって聞いてくるのも・・・どないやねん

完全に英語じゃないwwww
しかも聞いたことない言語の確立高い
(韓国とか中国なんて聞きなれた感ゼロ)
その言語が通じるか否か皆、躊躇なくしゃべってくる

その多様マックスな中で学んだ大事なことは・・
言葉じゃなかった・・・それは
次号につづく

上の写真はシルクドソレイユかな?
街の景色の中に半袖・短パンから
真冬の服装まで存在する、被服気候も多様よ。

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