カテゴリー別アーカイブ: 日々のこと

五感の見直し、ベイビードライバー


アクションもの得意ではないのですが
カーチェイスをこんなに美しいと感じるとは・・・と
初っ端からドキドキしながら感動してしまう貴重な体験をしてきましたよ
先日映画「ベイビードライバー」を観てきました。
(一応Youtubeにも動画上がってるから見ないで映画館に行ったほうが幸せです)

強盗の逃がし屋、運転手であるベイビーという青年のお話
子供時代に両親を失った交通事故が元で難聴と耳鳴りのため
四六時中イヤホンを使ってアイポッドからの音楽を聴いている。
その音楽がひたすら映画の中で流れ続けるのだけど
シリアスなシーンでも今それ!??って音楽がかかってくることで
なんだか乗り切れるような気がしたり
ああ、もうこれで殺されたら仕方ないわって
妙な諦め感が見ているこっちだけ起きてきたり
目で得られる情報に
音楽がついてくるとこんな気持ち!??って
翻弄され放題。

それに恋に落ちる相手のデボラが現れる瞬間の
彼女が口ずさむ歌も本人も可愛くて
主人公とともに恋に落ちるわよ。
(だって彼女映画「シンデレラ」のシンデレラっすよ、
一目ぼれ専用のキャラクターだわもう。ホワワ~ン)
カーアクション版ラララランドやミュージカルって呼ばれているけど
音楽がすべて心の中でほんとに響いてる音楽なので
ミュージカルっぽいいきなり感が薄いのもカッコイイ。

デボラと主人公のベイビーが仲良く一つのイヤホンで
音楽を聞く二人の様子と音楽だけが流れるシーンとか
事故のトラウマのシーンでも思うけど
映画って音と映像で全てショートカットして
「恋にオチマシター」とか
「トラウマがデキマシター」って
そういう一連の心の流れがこの短さで表現できて羨ましい。

あくまで自分の体験だけど
聴覚って楽しい音を思い出させてくれることもあれば
どっちかというと心の中のディスる声や
やめとけば?って声なんてしょっちゅう
夏の水田のカエルの大合唱級だよ。

だから思い切り外からの雑音を防ぐことで
視覚情報や指の感覚や肌触りに鋭く
集中できると感じていた。
だからベイビーのドライビングテクニックって
それってあるのかなって思ったり。
妙に納得できる感覚がある。
さすがに屋外で乗り物に乗ってはやらないけど。

どこかで書いたかもしれないけど
内的会話が始まるときに、
その音は聞こえなくなるくらい
耳から大音量でガンガンに音楽を流すというのは有効だと思い
製作の際に意図的に使っていた。

ただその時代を終え、打ち消す音を手放す瞬間というのは来て
むしろ今は先日のブログの[Por Una Cabeza]ように
脳内で音楽を自動的にかけてくれる
脳内DJが励ましの活動してくれているように思う。

なんでそんなに自分の聴覚が協力的に信じられるようになったんだろ??
って考えていたら、占いを思い出した。
占いは言葉で目の前にいる人に説明しなければ
こんな感じデースと絵にしても時間がかかりすぎる。
言葉にすることでより早く、
見えているイメージを伝えたり、
相手の感じていることをキャッチしてるよって
より早く伝えられる。
それを苦手意識があったとしても必死に言語化やってると
私が私の言葉や音を激しく信頼し始めるのだと思う。

直感・霊感的なものも大事にしているけど
日常で使いまくっている五感を
もっと丁寧に、自分がどう使っているのか
どう使いこなすことでよりハッピーでいられるのか
自分の好きな事とどんな風に連動させてみると面白いことになるのか・・・
まだまだ追及の余地があるんだなあ。

あとケビン・スペイシーの役どころもカッコイイです。
まあとにかく全部のキャラクターが素晴らしいですから是非一度
終わっちゃう前にご覧ください。

参考までにベイビードライバーについて私が有難かった情報は・・・
音楽はこちらを参照
◆菊地成孔 映画『ベイビー・ドライバー』を絶賛する
http://miyearnzzlabo.com/archives/45044
その他全般の情報は・・・
◆町山智浩 映画『ベイビー・ドライバー』を語る
http://miyearnzzlabo.com/archives/44069

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Por Una Cabeza

調子よく崖っぷちを歩いていたら、
思い切り転げ落ちてやっぱり傷だらけ血だらけ
あれ?なんでこうなるの??
そういう全体的にボロボロの心の状態に気づく日もある。

そんな時でも脳内DJは音楽を流してくれることがあって
それがある時「Por una Cabeza(ポル・ウナ・カベサ) 」というタンゴの曲が流れていた。
え?今?なんでだろ、なんでだろーと思えど
口ずさんでしまうくらい。
スマホを見ればituneにも入ってるし。。。
でも元になった動機は、なんだっけ?とずっと回っていた。


気になりすぎて、ネットで検索してみたらあった!
そうじゃ映画「セント・オブ・ウーマン」じゃ。
アル・パチーノが演じる退役軍人で盲人のおじさんが
連れ立って出かけた若者が気になっている美しい女性を
いざなってタンゴを踊るシーンで使われた曲。

女性は失敗が怖いからタンゴはちょっとと断るけど
タンゴに失敗はないよとアルパチーノが誘う。
アルパチーノに誘われたいのと
アルパチーノみたいな背中になりたわ~ってのとが一緒くたになる。

私がこのシーンが好きなのは
少しぎこちないタンゴの素朴な感じに
数分かもしれないけど
人間が出会って、その時その人間たちなりに
一瞬の思いやり、他者へ親切であること、
自らが楽しむこと、
それらの儚さだったり、
形になって時に再生されていくことが詰まっていて
曲と相まって切なくて胸が締め付けられるのです。

昔惚れ込んで販売していた洋服ブランドの
20年以上前に出ていたであろうデザインの服を着た方に出会った。
その色と言い、素材の選択や縫製と言い、ああ私の好きだったあの世界
古すぎてその時代には居なかったけど
長年着てくれてありがとうって気持ちでいっぱいになった。
買ったお店も覚えていてその方のその洋服との出会いにも物語はあるし、
私もその服を見て物語がある。

洋服、形になるもの、踊り、音楽という創作物が
コンセプトだったり記憶、物語、イメージを運んだり喚起する。
そういう一つの装置にもなりうる。
だからそこに何をのせて作り続けるのか。
その時その時の瞬間でも感じる愛だったり
魂の自由さを詰め込みたいし、ずれちゃうことは譲れないんだよな。
そんなことをあれこれ考えさせられる、ここのところ。

頭をめぐるPor una cabezaにどんなに悲しんだり傷つくことがあっても、
自分で自分の魂は決して殺さず
強くたくましく生きようぜ!、それは可能なはずだぜ、
そんなメッセージを送るかのように
脳内DJは私の底力を信じ続けているのだと思う。
映画の中のアルパチーノと青年の対話のように 時々は大喧嘩かもしれないけど。

さてぼちぼち今年もクリスマス製作だ。

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そういうことか


このところ体を使うことが多く
肉体疲労が激しいおかげか
(それでも不思議と元気)
はたまた新しい経験のおかげか、
あ、そうだったのか!と
いくつかの事柄がつながる瞬間があったので
備忘録的にブログに書いておこうかと。

寝てみる夢で連続して登場するモチーフの意味を
ああ、きっとこうなんだろうなと考えていたものがあった。
それは自分のためではなく、誰かのためだったり
何か違う意味があるのだろうと想像していたのだけど
ふとしたことで、この夢は全部自分のためだったのか!!
しかもそれは送られている愛の印と気づいて愕然としてしまった。

また一方で販売のお手伝いを少しすることがあり
場所柄今まで経験したことない速さの結果が出てくることに驚いている。
少し落ち着いてお話ができる状態になると
大好きな商品の前で商品とお客さんと
そこにある生活を想像し、ともに夢を見る時間がある。
器を眺め気持ちが グーンと上がり、
瞬間、手の中に納まるような器をながめているのに
小さな宇宙がそこに広がる。
そこから更に気持ちも盛り上がるし
素敵・・・ときめく~。
なんだろなあ。この感じ。
懐かしいような、新しいような。。。

あ・・・ちゅーかこれ・・・
エネルギー読みに行ってんじゃん
チャネルしてんじゃん
やっぱリーディングとヒーリングは常に同時に起きるんじゃん
知ってたけどさ。。。
占いだけでなくオーダー絵だけでなく
短い接客でも可能なんだった。
言ってしまえば、あらゆる営みがそうであることが可能なんだよな。
ええ、そうですともそうですとも。
わかっているつもりでいたものの・・・
実際に体験して心に深く刻まれる。

初めて展覧会に来て下さった方に
絵を見てスピリチュアル系の人ですか?と聞かれて
このカテゴライズが本当に苦手だけれど仕方ないと思い
ハイソーデスというのだけど、やっぱりそれだった。

あとよく眠り、よく水分をとり、腹8分以下
風呂に入るっていう日常のツール、
きつめに感じるオードトワレは状況次第で最強!

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身近すぎる死、そして再生


マルモッチオリジナルオラクルカードは、そもそも特大原画のカードを振り回して占うっていう身体性に重きを置いて作り始めたところもありましたが、それと従来のよく知られたシンボルに刷り込まれたイメージから離れたカード占いがしたいというのがあった。
特に死をイメージさせる絵に対する抵抗感が、どんなに言葉を重ねたり信頼関係があったとしても難しいと感じていたから。

今朝ジップロックに入れて作った蒸し鶏がさすがに賞味期限切れたなと思ったので捨てることにした。
その鶏肉の入った袋を台所に置いて燃えるゴミに出し忘れたことを思い出しながら考えたのだが、あれは一種の死体なんだよな。自宅内死体遺棄事件ですよ(単に家に帰って匂ってたら嫌だなあという気持ちで書いています)

死というものが 距離あるものになって、忌み嫌われているけれど毎日のように他の生きものに死んでもらって生きているわけだ。動物も植物も私のくくりは生きものです。

そう思い巡らしながら道を歩けば焼肉屋の肉の写真が美味そうなのも死体だぜ。(一瞬人間と重ねたイメージを作ってウゲっとなる)
そしてその建物を作っているのが木造だったら木の死体、鉄や樹脂の看板なんか地下資源のなれの果て!?
世界不思議発見とかで見るヨーロッパなんかの地下墓地に頭蓋骨やその他の骨がギッシリ詰まったような空間を思い出した。
身近でないが、たぶんそういう風に見えていないが、死体に囲まれているのが都市生活かもしれない。
そして死が遠くなってしまうのは、この製品や造形という一つの命の死から再生された形に多くの恩恵を受けている事実が 死は一つの通過点に過ぎないことを知らず知らずのうちに受け取っているからなのではないだろうか。

【数量限定】マルモッチ オラクルカードお申込み
オラクルカードのご感想

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うずまく

久しぶりに大好きな砂浜に行って
丸腰なので挨拶代わりにそこらへんにある木切れとか貝殻とかで
あれこれ描いてきました。

渦巻をひたすら描き続けてると(布に描くときも同じく)
今日が平和な日だったら
それが少しでも長く続くようにと願う「永遠」って言葉や
「日日是好日」ってのもなんだったっけ?ってよぎる。

その一方で波は容赦なく描いたものを流していく。
かなりマジかなタイミングで。
(写真は、だいぶ流された図です)
人間のじたばたなんて一瞬
それでも砂をあっちにやったり、こっちにやったり、
ざらーっと流されてはまた動かしてを繰り返している自分がいる。

砂を右にやったり左にやったりしながら、
まるで徒労か?と思うような流されっぷり
こんな風に何もなかった一瞬のように
人生って終わるのかな。
それでも右に左に生きていく。
いいじゃないかって気になれるのも海の良さ。

プラスチックごみの海洋汚染が気になるこの頃なので
http://www.afpbb.com/articles/-/3125738
とりあえず半径1mの範囲内のプラスチックごみを拾ってく。
結構あるなあ。

ではよい週末を!

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絵に描いた餅上等

なんだか無性に桜の食べ物が欲しくなって
あっちゃこっちゃウロついてたんですが
結局昨日ですね 桜の木を描いて
寝室に飾って眠り
朝になって、その絵がジャンバワラワラ〜って音立てて
剥がれおちる音で目が覚めました。
(裏を簡単に練り消しで止めてあるだけなので弱かったのか起こされたのか??)
ああー朝っぱらから満足だなあって。

ちなみにマルモッチというのは
丸いお餅が好きでつけた名前ですが
それだけでなくて、

生きている間に見ることは多分ないだろう
地球の中心に何があるのか
世界の中心には何があるのか。
それを自分で仮定して
「この世界の中心は丸いお餅である」と定義してみる。
一瞬心がウキっとするんです。
現実は何も変わっていなくても。

絵に描いた桜も同じようなもんで
本物ではないです。
でも、桜のエネルギーをバリバリ感じながら描いて
飾ってみたら桜の木の下での経験と
これから体験していくかもしれない
未来の桜の情景が心にやってくるのです。

「絵に描いた餅」は
実際には何の役にも立たないことのたとえに使われますが
果たして心の景色に描き
時に絵に描く餅は役に立たないのでしょうか?
とんでもない
絵に描くことから始まるものがあるんですよ!
役に立つかどうかは描いて知りましょ。

3/20の岡崎慎司フットサルフィールド イベントでのハンドメイド体験と、4月のクレパスアートワークショップでお待ちしています!

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下駄はいてこける

「下駄を履かせる」って本来の実力より
点を増してみせる 水増しのことを言いますが
つい最近のこと。

いつもは鍼に行ったりして
風邪とかアレルギーは 適当に付き合いながら
じんわり治してきたのに
薬飲んで症状って消えるんかなーと思って
飲んでみたら、あらビックリ
風邪も花粉症も症状があったことも忘れてしまうくらい
ピタッと止まったのでこれ幸い
元から元気だったんじゃん!?とばかりに
サカサカ用事を済ましまくり
最後にビールとか飲んだ瞬間に思い出した。。。
ああ、体は養生を求めていたよ 君、君って
つい下駄を履いていることなんて忘れて
思い切りこけました。

水増しといえば 何かを作って
人に褒められたり喜ばれることも
結構な下駄をいただくことになるとおもいます。
作り出したい結果の中に人が喜ぶがあったとしても
そこにだけ注視しているとあら大変
人がどっち向いているか
イイネって言われるか否かが命になったり
よほどタフな人間でもない限り
自分が描きたいものと人に認められるからやることの
どちらかなんて簡単に見失う
そんなもんじゃないかと思うんです。

最近イラストを描かれる方の絵を模写をして
SNSに投稿したり販売するという話をいくつか見聞きしました。
著作権に触れる法的な問題もありますし
何しろその作家さんがそれを幸せそうに語っていません。
シンプルな絵は 簡単に模写出来るように見えますが
いきなりその完成形ができたわけではありません。
相応の年月、エネルギーを費やして一枚、
一キャラクターがあります。
ミッフィーの変遷をご存知の方なら
あのミッフィーになるまで60年近いわけですよね。
そこまでのキャラクターを模写すると
たしかにミッフィーそのものが持っているものが
完全に下駄を履かせてくれて
SNSでは イイネになると思う。
でもそれは下駄です。
下駄といえば聞こえがいいけど
正直な気持ち麻薬に手を出しちゃったなあって私は思う。
もちろん模写は楽しいし
好きな作家さんの絵を模写するのはなお楽しい
でもそれを外に出して褒められる楽しさは
風邪っぴきが薬で症状収まって
外に出てビール飲んじゃうっていうのと似ている。
実力がないって自信のなさの上塗り
そこから風邪を治すのは、
これまた 薬飲む前より厄介じゃない??

薬飲んで大人しく寝たり、鍼して寝たり
体にやさしいもん食べて養生する。
絵も下手でもなんでも良いから
自分のオリジナルな絵を一枚でも描く
めんどくさいけど そういうのが一番早道なんだなあと。

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スナック


オラクルカード原画展『オラクルスナック「天国と極楽~ときどき地獄~」』にお越しいただきましてありがとうございます。
残すところあと一週間となりました。
カフェでずっとスナックのことをテーマに展示して
営業妨害?いいえ、共鳴している!!
と一方的に思い込んでいます。

スナックと言えばもう古い飲み屋のイメージでしょうか
バーというような気どった感じも薄く、
近所でサンダルでも行けるような気楽さと
カウンターの内側のキラキラ感
ウイスキーの水割りは妙に美味しく
日常の半歩外側のような世界で
お腹を満たしに行くでもなく
(たまにしっかり食べられるところもあるけど)
どっちかと言うと気持ちが満たされたり、
ゆるみに行くようなところ。

カウンターに並んで座って人の気配を感じていたり
たまに話したりして、
なんとなくうまく治まる人間の業みたいなものがある。
寂しいとかかなしいとか、
出来ないことがあるとか
楽しそうな場面にもそういう裏の感情はあって
それを少しごまかす為に
つい自分を正当化して正義の怒りに変えてみたり
違う感情の上塗りを始めて
本当の本当のネガティブな気持ちは
どこか置いてけぼりになってしまう
そんなときにスナックって
人間はそもそもそういう存在である前提で受け入れる。
落語は業の肯定であるっていうように
スナックは人間のあらゆる感情を肯定するそんな場所なのではと。

だからといってそこで何をしてもいいわけではないし
聖人君子が営業しているわけでもない。
普通の人間のほんのちょっとの「よかれ」
ちょっとでも明日がよくありますようにという軽い祈りのような
そんな思いが形になった場所。
カフェヌックのマスターはここを一呼吸おいて
日常にもどる場所を目指していたり。
(いいなあそういうカフェ。)
世の中がどう流れていようとも
人間はそういう目に見えにくい心の平和の為に
ジタバタできる心強いキーワード
それが私のイメージする「スナック」なのです。

2017年1月30日~2月21日オラクルカード原画展「オラクルスナック天国と極楽~ときどき地獄~」
そこらへんの神さま絵とは?
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クリスマスマーケット

やーまを とーびー たにをこえー
ぼくらのまちへ やってきたー

忍者ハットリくんの歌を歌いたくなるくらい
飛行機で山をひとっ飛び
福岡空港を経由して山口県下関市にトンボ帰った時の写真。

同じ季節 同じ国の中でも
光も色も、見えるものが違う

出汁が違うw
幸せっす
ごぼう天うどんに肉トッピング
関東の味に馴染んでもいますが、
この辺りの味は格別ほっとします。

下関を昼も夜も堪能

関門海峡を眺めながらお茶ができたり。(Uzu House)


よもぎ亭で夜ごはん

最後にまた博多
クリスマスマーケット見ちゃいました。
東京でももちろんクリスマスマーケットはあるのですが、物販部門は結構種類が物足りないところもあり、博多ではウクライナからのショップもあったりと、ああ 私の理想のクリスマスマーケットはこれだった!
ここに来なければというお店ごろごろ必見です!!

東京に住んでいると、
海外の都会に行って素敵な物を見つけても、
もしかして東京に普通売ってたりしないだろうか。。。
とよぎる。実際にそういうことがあるので。
それでまた博多っていうと都会だし。。
全国的なお店なんじゃって一瞬思う。でも違う。
(駅ビル病か!?←勝手に名付けた)
博多のクリスマスマーケットはここにしかないって
ものでいっぱいだったので
近くにお立ち寄りの方はぜひ行って欲しい!
私が買いそびれた分も買い物して欲しい(´ཀ`)
ウクライナの木彫りのオッサン
買わなくて後悔している。。。
ぼつぼつ木彫り始めようかなあ

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「Noble Mari」さんの展示会


国際バッグエキスポ、バッグブランド「Noble Mari」(株式会社ベスト)さんのブースでのお手伝いに。すごいタイミングとご縁あって行ってきました。

爬虫類の革の扱いを得意とする製造メーカーさんが初めてオリジナルブランドを始めること。。。とは今回デザイン、プロデュースで関わられたn .numberの三上さんのブログをぜひ読んで見てください。
私も初めて知ることだらけで、爬虫類革の物作りの面白さ、この形になっていく過程の文化、知恵熱でるかと思う。

今自分が安心して壊れる心配もない、質もあるものをお金さえあれば買える環境にいられるのは改めてすごいことなんだと思う。
(朝ドラのべっぴんさん観てると、お金があっても質の良い物が買えない時代があったよね)
しかもカバンあのクオリティで今から裁断始め、縫えるようになりましょうって思ってもね。。。。無理よ。

しかもあの製造過程を分かった上でデザインを実現出来ないかって職人さんに納得してもらえるようにコミュニケーションしていくこと。アップル製品のような派手さはないですが、まさにコツコツとプロダクトデザインのお仕事。

そんなエネルギー濃いい〜値段もそれなりな製品を展示会でお伝えするのが仕事でしたが、やっぱり濃い〜〜ものに反応される方は濃い〜〜もの好きばかり。不思議なくらいお互い共鳴するもの同士が出会う。(そこに居られる幸せ)

もちろん安かろう まあまあであろうなクオリティが悪いわけではなく その都度お互いの惹かれあうものに出会える、様々な質を選べることが豊かさなのではないかと思うのです。居酒屋だって激安立ち飲みも高級レストランも人生には必要です。^_^

そしてどちらにしても工場で物を作り続けるのは、個人の規模では想像できないような大変なことがいっぱい。だから私は何でも手作りバンザイなわけではないです。

今まで販売員、営業事務員、事務員しながら展示会デザインしたり、占い師、アーティストといろいろやってきましたが、今回はそれらを ぜーんぶ 合わせた能力で、商品に関わる人たちのエネルギーと同じ熱量を必要とする人たちに繋いでいく、ちょっと今までにないスタイルでの関わり方になった気がして います。

必要な知識は関わる皆さんがしっかり教えてくださって、あとは自由に動けてリラックスして取り組める環境を与えていただいたことにも感謝です。



クレパス・アート ワークショップ
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