今日のそこらへんの神さま絵は「いのりの光」です。
そこらへんの神さま絵は日々出会う神性な存在だったり
そう感じられる瞬間を描いている。
出会ったタイミングとかも大事にしていて
なるべくフレッシュなうちに出すサイクルにしている。
それは自分の好きなネットの週刊占いが月曜に出てるなら
木曜じゃなくて月曜に読むし、
もしもそれを書く立場だったら、
今週はこんなことに気を付けてなんて
もしも金曜日に出してたら
後出しジャンケンみたいに
今週はこうだったでしょう?って言うのはなんだか感じ悪い。
かと言って、絵を主にアップするサイトでそんな基準はあるのだろうか。
時間かけて描かれた素晴らしい絵もこの世にはあるし。
ただ東京に暮らして、東京の色んな刺激、生活の色々がもたらしてくれ
そういう色々が与えてくれるものに対して
ありがとうって描いたよって見せるように描いたり
このイメージ今日しかキャッチできない~ピチピチ。
を大事にしてるのが楽しい。
なんでこんなことを書いてるのかというと
昨日フレンチブルドックを投稿したら反響が大きかったので
うわ、やっぱりペットになる動物・・・人気あるんだなあ
それなのに翌日心に浮かんだシンボルが
動物じゃない・・・の。いいの。揺れたけど。
一瞬自分の下心に立ち止まってしまったから。
それからフレッシュさについては最近思うことがあった。
自分にはあの日のアドバイスが
ずーっと日々生きてますっていうパターンは
めちゃくちゃレアで(たまに引用はあるんだけど)
今日会った駅のキオスクのマダムに
「週末しっかり休んでね」って言われたとか
そんな思いがけない瞬間瞬間が
マイ・ベスト・パワーワードを更新し続けてる。
(あってるのかな この表現、エンパワーメントされてるってことで)
あの時キュウリには塩が合うって言ったじゃなーいって責められながら
マヨネーズをディップしながら食べてるみたいなことが日々起きてる。
去年の夏の中華街の関帝誕の時に行ったお店に
今年も同じ時期にもう一回行こうとしたら、
その道が今年は見つからなかった。
幻想かって思うけど、こんな日は地図が読めないんですーってフリする。あくまで自分に対して。
お気に入りの茶芸館も満席。
毎回同じようには楽しめないようにできてる。
かといって道端で肉まん買ったらべショッとしてて
温度が中途半端なのをつかんでしまう。
新しいことが当たるとは限らないし
やってみないとわからない。
結局このままで帰りたくないが高まって
春節カウントダウンを見に来た時に
早朝でも夜遅くでも御粥が食べられる店を
見つけたのを思い出したのでそこに行くことに。
肉まん食べてるのに御粥食べてていいのかなと思いながらも
食べ終わったらものすごく満足していた。
(腹いっぱいという意味でなくて味わいの方)
毎度ものすごく無愛想な店員さんに
お会計の後、思い出したようについ美味しかったですって言ったら
本気な笑顔で見送られたのだ。びっくりした~。
前と同じことをして得られる同じ楽しさは降ってこないんだけど
一寸先に予想できないビックリするほどの笑顔とか
パワーをくれるワードがやってくる。
それが動物の存在だったりすることもある。
再現不可能な偶然たっぷりのハピネスみたいなものを
描き留めて誰かに観てもらうのは
犬から来たものでも、犬であることを超えた、
幸福なパワーが届くんじゃないかと思うんです。
それもまた時間が経ってブログにアクセスがあったりするから
記事を振り返る瞬間に、
こんなこと君考えてたぞ、
今はどう思ってる?って聞かれたようで
ああ、そんな幸せのアンテナもあったな
その上、もっと違うアンテナも見つけたなとか
過去から未来の自分への手紙にもなってたりする。
たった今切に感じることができた時間のギフトを
なるべくフレッシュに出して
その瞬間から先の未来の自分も含めた誰かへの
ニッコリパワーを送り続ける。
そこらへんの神さま絵製作にはそういう要素がたんまりなのだ。
[light of prayer / size: A5 ]
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