アロエのとげを見つめるとき
あなたは皮膚を感じている・・・・なんつって。
触覚をつかさどる肌。
肌とはどこまでを肌と呼び
それを意識してくらしているのでしょうか。
そして肌を大切にするということは外からの刺激から
守ることだけを言うのでしょうか。
ちなみに
「皮膚」は
表皮、真皮、皮下組織の三層よりなる
「口腔粘膜」
粘膜上皮、粘膜固有層、粘膜下組織 の三層よりなる
ググッたら出てきた
「顔や口腔の外表面を覆い、外界からの刺激や有害物などから保護するのが皮膚または口腔粘膜であり、また、これらの組織は深部の構造をも守る重要な役割を担っている。」とあります。
とにかく守ってくれてるね。
ここで言いたかったのは
皮膚って口腔粘膜も皮膚で
触感の体験としてはここも含まれるんじゃないかなってこと。
診療科別に考えると別なんだけどね。
同じ皮としてつながってるのに、
例えば腕の上に髪の毛一本落ちていて
それを感じ取る時と、全く感じないことがある。
なかなかの鈍感力。
だけどそれが口の中だったらどうでしょう。
かなりの速さで口の中の異変に気付く、
なんじゃこりゃあーーー 毛がー!!っと。
なのに口腔内の皮膚って熱にはめっぽう強い
(たぶん肉体の中でナンバーワン)
あっついものを食べて、やけどしても修復早い
それでいて異変ににも気づくのが早い
どんだけ優秀な機関なのかと思う。
肌から心地良さを感じるのに
マッサージや好きな毛布にくるまったり衣服を着て好きな刺激を与える、
前回のブログでも書いたようなハグやタッチで
他者と繋がる精神的なものも含めた感覚のことだったり
つまり守ってくれるだけでなく攻め?(適切なのかな・・)
積極的 幸福の探究が可能な一部として考えてみたい。
普段は会うこともなくなった同級生の働く店に
ご飯を食べに行こうかなってたまに思う。
「おんなじレシピで作ってるからこの店の誰が作っても同じよ」と本人は言う
彼女が作ると汁麺の汁の熱の感じがほかの人が作るのだと出てこない熱で
味がキマッタ!!感があるから。
あの感じはなかなかお目にかかれない感動がある。
本人に伝えると思いきり否定されたんだけど
同じ時に 別テーブルで食べてた常連さんが
「初めて夜にきたけど 夜の汁麺の方がおいしいですね!」と言っていて
でしょうううううーーー!!!!って
どれだけ叫ぼうかと思ったけど
かなりがまんして黙って彼女にあとで伝えると
「それは朝作って煮込んであるから夜の味が濃いってから」と一蹴
全然納得いかなーい。
熱から感じるものは作ってくれる人の技術もあるけど
エネルギーと関係してるんじゃないかなあって思ってた。ぶつぶつ。。。
そんなことすっかり忘れてこの自粛中
前から気になっていた中華のお店に
テイクアウトがあると知って行ってみた。
初めて行くお店が給食当番みたいな
不機嫌な人が出てきてもビックリしないように
ついつい身構えてるところがあるのだけど(期待しない努力w)
そこは行ってみたらなんだか前から知ってるような
自然体のエネルギー。
注文した炒め物の刻まれた野菜の断面の感じといい、
テイクアウトで温度下がってるのに
そもそもの熱量が全然違う。
鍋から出来上がってテイクアウトの容器に盛られている野菜たちが
久々にきれいだなあーって思ったし、
その印象がそのまんまの味だった。
(炒め物の写真を撮り忘れる人)
それで何度かテイクアウトに行ったけど
やっぱり作ってる人のエネルギーが熱に移る感じ
素材の切り方
(結局生きものの命を奪っている切断面にも
時間を止める絵を描くのと同じように残ってしまうようだ)
を皮膚で感じるのが面白いのだ。
そんなこんなで前に出てきた
同級生の作る出汁の味のことを思い出したりなんかして
そんな話をズーム飲み会で
小規模のお家タイプの介護施設で働いている友達に語りまくってたら
施設のお年寄りのための料理は
そこでは夜勤をする人が交代で作ってるんだけど
素材の切り方って人それぞれに違うのを知って
新鮮で驚くよ~!って話に。
他人の断面は刺激になる可能性を含んでいる。
もしや「神は細部に宿る」的な話か!?なんて 大騒ぎ。
人と人が距離をとることが求められる時期
それだけでもう皮膚は知らず知らず委縮しているかもしれない。
マッサージをしてあげたい関係でもなんだか躊躇されることもある。
しかし一人一人の作り出した切断面からでも
どこかで見つけたナイス触感なお土産や贈り物で
繊細であり丈夫な口という皮膚に
タッチというギフトすることも可能なのだ。
それは自分自身のお肌に対しても同じこと。
ラブ マイセルフ
汝の汝を愛しちゃお。
今夜は縁もゆかりもないどこかの誰かが作ってくれた
美味しい、新しい触感の旅に出てみてはいかがでしょう?
そう心のどこか気になってるあの店のこと。そしてあなたが作りたいあのこと。