ふふふの布にまつわる話―聖骸布編

友人夫婦と小さい子どもがいる家に泊りがけで遊びに行くことはままあったけど、その家である朝 寝室の方から旦那さんの声で「俺の聖骸布だよう」という声を初めて聞いた。

え?今ここに聖骸布って??
と奥さんの方に聞くと、あれよ、タオルケットよ、と半分あきれたようなリアクション。

お気に入りの肌触りのタオルケットを、なんとイエスが血を流した亡骸を包んだ聖骸布と呼んで大切にしていたのだ。ド厚かまし奴じゃというのと、深夜まで身を粉にして働いて疲れ果ててその布に包まると幸せだったら、確かにこの布はありがたく特別かもしれん、ちょっときゅんときた。

勿論この絵のようにタオルケットに包まった中年のオッサンではなく、そんなスペシャルな扱いになっているタオルケットにだ。

そんな衝撃を受けた帰り道、ああ、そういえば私には幼いころから長年そんな布団の原型をとどめなかった存在が実家を出るまであったし(この話はそのうち)、そして今もなんだかんだカバー用に作ったちょっとしたキルトがほぼ聖骸布のように存在しているではないか!はっとした。

ただ子供時代のライナスの毛布的なもの(やっぱ聖骸布と呼ぶのか迷う)を人に知られてはならぬとそう思い込んで育ってきたので、隠すクセがついていたけど、同級生のいいおっさんが・・・「聖骸布」って堂々と自分の子供に説明までしおって・・・世界が一回ひっくり返ったのでした。

なぜかそれ以来、なんとなく触れて心地よいカバーとして使っていた自分のキルトをどんな風に心地よく感じているのか意識するようになったと思う。

疲れたらルームウエアに着替え、そのキルトにくるまったり、その布を通して深呼吸したり、撫でる。手なのか腕なのか、どこにあたっているのが心地よいのか。その感覚の心地よさにひたすら身をゆだねる。布団まで分厚くない薄手のキルトなので、最初冷たくても、少し接していると温度が変わる、それもいい。 運動で発散もいいけど、この皮膚の感覚に集中するのは、たった3分でもそれらにも匹敵する何かがあるのではないかと思う。

外に出かけたり、日中人と会ったり、パブリックスペースにいたり、効率よく動くのを大切にしている時間に使っているときの自分の五感をは外の情報をキャッチするのに大忙し。だから私の安心できる時間にほんの少しでも肌の感覚に集中させることでそれ以外の機関を一回休ませたり内側の自分の感覚を取り戻すことができるんじゃないかと考えている。

子供の皮膚と脳の発達の関係が最近研究されていて、とにかくスキンシップの良さが唱えられているが、今更大人はどうなのよ、だったり、スキンシップの相手がいなかったら、さらにどうするよ問題がやってくる。
そんな時でも自分に触れる素材をチョイスするとか聖骸布一枚(もうこう呼ばせてください)持ってるだけでも全然違うと思う。
温泉に入る時間もない、山や海への行く間もない、だったら風呂上りに 今すぐ触れる衣服を心地よさベストにしてじわっと味わうだけでもいい。もちろんオラクルコースターも。

「皮膚のため」というと、よくクリームを塗って肌荒れとか乾燥を防ぐとかスキンケアというものがあるけれど、人の感度によっては客観的に外から見た私の皮膚であって、皮膚が感じている内側からの感覚と実はイコールではないようような気がしている。むしろその外側の皮膚の見た目をどうケアするかは視覚を働かせている部分が多い気がしている。化粧水で潤わせている間、それを心地よく感じているのはどこじゃ?べとべとがいいのか?どれが適切なしっとりなんだろう、と自問自答してラビリンスにいるのは私だけだろうか。

そんなこんなで、11月30日、12月1日はちいさなキルトのコースターひとつにもリフレッシュできる力があると信じてオラクルメッセージをつけてお渡ししたいと思っています。

普段バーとか大人過ぎだわとか、一人で行くのハードル高いわって方にも新しいドアを開きながら、五感を遊ばせに来ていただけたら幸いです。女性が一人で来ていただいて安心できるOmiyamaさんですから。
もちろんmarumocciキルト作品もご覧いただけます。五感をあそばせて師走の始まり、記念すべき令和最後の月、一息入れにいらっしゃいませ。