液体から固体を取り出す。
海水を熱して、ああしてこうして、やっとほんのちょっとの塩という結晶が取れるとか。
地中のマグマの熱で溶かされた二酸化ケイ素が石英になってその一部が水晶になるとか
あるものが結構な負荷をかけられて そこにほんのちょっと結晶になる。
友人のパートナーが数年闘病中で
結構辛かったんだーって話を初めて聞いたとき、
遠い病院に連れて行ったり
家事も自分がやるんだけどって話で
そんな日々も長くなって調子のいい時もあって
自分がせっせと食器洗っていたら
相手はごろんとソファーでスマホいじってるのを見て
ちょっとムカついたんだよねーって
文章にすると愚痴なんだけど話してる様子は全然違ってて
どこかその不満に思う自分を滑稽に笑いながら話しているようで
おおお、これってほんとの愛の結晶なんじゃねー?と
今思い出しても嬉しくなるような瞬間だった。
自分の場合、旅に出たり近所でも気づいたら
道端で知らない人と話すのが
割とあって自己紹介を聞いてしまうパターンが多い。
今会ったばかりの人に、「どこから来なすった?」って聞かれた後は
80歳までこんなことがありまして今に至りますって
そうでしたか、お疲れ様でしたはすごく多い。(省略するとざっとこんなお話)
大きな病院の待合室とか、座ってるだけでお話聞けるホットスポット。
ある時バスの停留所で時間を聞いてきたおばあさんが
いっしょに乗って降りるまでの10分20分の間に
人生のひととおりのことと、なぜか若いころに流産してしまった思い出を
ショックだったって話してくれた。
何十年たっても、ついこの間のように・・・
だいたいは はあーそうだったんだすな、で終わるのだけど。
先述の友人の話を聞いた後になって振り返ると
それらは全部誰かの大切にしていた人生の中で
マグマのように大きな負荷がかかったときのことを消化した話。
人生の愛の結晶をシェアしてもらったんじゃないかと
輝きが増して見えた。
一つ一つの街には自然があり、人間のあんなことやこんなこと、
それから生まれる結晶がちりばめられていく。
一本の木にしても誰かがそこに意味を持って植えたものもあるだろう。
そのあとに樹木の意思もあるだろうしそこに何かが宿ることもある。
自分はそういう土地土地の中で起きるハーモニーを見つけては作品にしていってるんだと改めて思った。
それに日々ちょっと困ったな じゃぼーっとしに川でも行くかとか お寺散歩するかカフェ寄ろうかーという答えもまた日常の負荷からの結晶。
私の善福寺川らへんで見つけた神々、愛する人生の結晶をどうぞお楽しみくださいまし。
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10月5日~20日「千樹カノン」展
https://marumocci.com/2019/09/08/senjukanon/
●期 間:2019年10月6日(日)~10月20日(日)
●時 間:11:00~19:00(10/6初日の展示は14:00より)
●期間中お休み:10月8日(火)、15日(火)
●会 場: CAFĒ SEIFU
https://www.instagram.com/cafe_seifu/
〒166-0012 東京都杉並区和田1-12-12
●MAP: https://goo.gl/maps/ycGnN8HX354cpDmp7
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