千樹カノンになるまで@鎌倉

鎌倉の長谷寺の観音ミュージアムを訪れた時に三十三応現身像を見て、観音様が 三十三の姿(「応現身」または「応化身」などと呼ばれる) で現れて助けてくれるというエピソードとその像を見た時・・・いる!いると思います!!
それ誰か、どんな姿か知らんけど。
それはもう・・・この話が大好物だなあとつくづく思った。

実際にその像たちを眺めて、時代的にも誰一人まったく身近な衣装でもキャラクターもでないんだけど、現れていること、身近にいること、気づけるような気づけないような存在感、安心感の入り混じった感触にどうても心惹かれる。
もうねそういうのは宗教ってカテゴリーでは見ることができません。

その時会えたうれしさ、この感触を作りたいと強く思った。
すぐ作らないと忘れてしまって一年くらいたった今年のある日。

鎌倉を訪れて、予定外に長谷寺に寄ることになって、
漠然とああーキルトほっしいなあ(買いたい方)と、
考えながら長谷寺にお参りしてた時。
なぜかそのお寺で私キルト作る!と宣言していた。
(染めウエアをやめると決めたのも
突然ある場所で階段をかけ上ってたら、
そうだ、染ウエアやめよう宣言が
自分の中に沸いて来たので
割といつもこんな感じ)

そしてその観音様が姿を変えた像群にまた会っちゃった。
ああ、そうだそうだ、作りたかったんだって。

今の私にとって最も日常な土地で、
最も身近な中に観音さまのような神性なものがあるとしたら
それは木。
木の姿を借りて、守りに来てくれている
木の中の神性がいつも見守ってくれている。
そもそも木々の中にある生命力が
インスパイアし続けてくれているのかしれない。

信仰と言えば特定の宗教を想像してしまう面もあるかもしれないけれど、
本来日々の中で出会う神性なるものや
自然に帰依している自分に気づくことも
現代らしい信仰なのではないかと考えていて
結局ずっとそれを形にすることにトライしてるんだと思う。

観音様の三十三のお姿が、言葉によるものだけでなく、
あの像になって、ああ、そういうのある感にだろなって実感に変わるように、
木々のことを染め絵にしていくことで
いつもそばにある木々がくれているもの、
樹木らの源にあるものを日常に帰っても感じられるきっかけになったら嬉しい。

10月6日-10月20日 [千樹カノン]展 CAFĒ SEIFU