川の曲がり角で

ヨックモックがサーミ語で「川の曲がったところの土地」のことを
指している言葉だって聞いて
で、それで、なんでそこの土地を指す必要があるのか
今一番気になっていることの一つです。

なんでかというと 次の作品のテーマにしている
この善福寺川沿い街の木々たちは 
まさに曲がりくねった川の土地の木たちだから。
国を問わず、人間が川の曲がりくねったところに何を見出したんだろう。
ちょっと図書館行ってこよかな。って考えてたら
やっと展覧会のハガキの印刷仕上がって届いちゃった。
(このあと発送するまでがハガキ作業です。←自分への言い聞かせ)

因みにこの下の地図が善福寺川ですが、どうですか奥さん!
この曲がりくねりと遺跡。
それから表示されていないですが、宗教施設も盛りだくさんです。

10月6日から「千樹カノン」展です。
自分にとって善福寺川は気分を変える時に
そこら辺をちんたらチャリで走ったり歩いたりして
割に意図的なぼんやり、
瞑想みたいな時間を過ごしに行く割合が大きい。
やりたいことが分からなくなるようなときは
とりあえず川。

川沿いのエリアによっては
旧石器時代の遺跡も普通にあるもんで
ここらでの人の暮らした歴史の長さを知ることもできる。
ちょっとした小さな神社のある場所の林の古めかしさ
少しおどろおどろしいくらい。
だから波長の合う合わないをよく感じながら行くの大事。
都心に居ながらにして異世界。

こういう自然へのおそれがあるから
ああすればこうなる人工的なるもので身の回りを固めたくなる
そういう人間の気持ちの反動を感じてほっとする。

ここで育つ木々たちは人間が植えたもの
自然に生えてまた次の木が育ってを繰り返した
そんな木々もあるんだろな。

人生はそのほんのわずかな時をここで過ごしてる。
目の前の川に葉っぱが一枚流れているのを目で追って
それが流れて見えなくなるまでここに居るような関係。

そんな時間の流れを思っては、
根をはってここで生きてるぞーとどんなに安定感持っても
ここでちょっくら間借りしているだけの間借り感も思い出す。

そういうわずかの間、
一瞬のそのまた一瞬に感じた
ここでの時間を守ってくれているものを
布ににじませ、布絵にします。
そこらへんの神さま絵の善福寺川バージョンです。

10月6日-10月20日 [千樹カノン]展 CAFĒ SEIFU