この頃、飢えてるのか?ってくらい気になってたことに出会いに出かけてる。新しいことを知りたくてウロチョロして、昨日も夜な夜な銀座のメゾンエルメスに24時に始まる「ピアニスト」向井山朋子展のパフォーマンスがどんなものか体験したくて片道一時間、ママチャリで走って観に行ってしまった。夜の闇の中で月の光のしずくを集めるような世界でぼーっと満足。
既にこの世界にあることでも全然知らなかったってことがいっぱい。
素晴らしい表現者の方もそう、皇居を走って、暗いお濠の水に潜むカモや映る光を眺め、日比谷を通り抜けてペニンシュラホテル過ぎて出会う夜の銀座の景色の美しさも、知らなかったし。
三浦半島の先の城ヶ島のすごさも、中国から来た漢字、や文字の歴史の面白さ、やっぱ草書好きになったり、宮崎の高千穂郷の日之影町のわら細工たくぼさんの素晴らしいわら細工も。藁を実際に綯うのを教わって手触りとか、どう手を動かしたら藁をなえるとか、知らない感覚が繋がり繋がり、楽しすぎ。
どれも今のこの世界に既にあったり、自分の生活を支えるものの歴史の一部でもあった。
自身の畑の土を整えるように新しく出会って、外を知り、自分を知るを繰り返しながら種まき、花を咲かせるのを繰り返すのだと思う。
今とてもそういうことを考えるのは近所のお寺のお坊さんと新年にお会いした瞬間の「あけましておめでとうございます」がすごく印象に残ってしまったのが大きい。
客観的、距離もしっかりあるのに、バーンと肝心のあたたかい祝福が送られる感じ。
想像だけど、「あけましておめでとうございます」を練習しているわけではないと思う。それなのに、いざお正月に列をなして現れる参拝者にお屠蘇を注ぎながら、何度もそのクオリティで、枯渇することなく あのあけましておめでとうございますが出てくる。日々の精進が一言一言を変えてるんだわこれ。
あーいいな~それを作りたいの!って思ってしまった。
獲物を標的を捕らえるのに、外からジワジワせめるように、自分のやり方を探し時に基礎に戻りながら、あの「あけましておめでとう」感にたどり着くために今、畑をじわじわ外側から耕しつづけている。