Cornwallの旅 No.4 何者でもない 何者でもいい

コーンウォールの旅の思い出
とりあえず海辺のGunwalloeガンウォロー辺り歩きに行こう。

そこにあるカフェでお茶をしよう。

なんて素敵なアイディア!とノリノリ

駐車場から歩いて丘をちょっと越えて見えてくる教会。この辺は人の住んでる気配ないんですけど。。。どこからどうやって通ってたの?と思う。雰囲気的には2、300年はゆうに越えてないだろうか(想像)

晴天の12月の東京みたいな気温に めちゃんこ冷たい風が吹く。そこに遮るものなし。

三匹の子ブタのお話しからの教訓は、
こういうイギリスのような丘が続いて
風を遮る木々もないような場所に建物を建てるなら、
ワラとか 木造じゃないよ、
レンガとか石じゃなきゃ ダメダヨなんて・・・
ういう気候風土で培われたものじゃないかと想像してしまう。

谷や盆地、低いところに暮らすことに慣れすぎだろうか。

ごめんください

すてきな窓ですね。

ヘザーにニット帽子とマフラー借してもらった。
まだまだ歩くよ。

丘と丘と呼ぶべきか、崖と崖の間に入江があって
サーフィンスクールやカフェが待ってました。

年間363日オープンしているカフェ。
外でミルクティーを飲める最高のお天気。幸せじゃ。

そしてまた丘を登る。

勿論息が切れる。
キルトの師匠のヘザーは
結構な年上なのだけど、
常にこういった環境に体が慣れているのか、
いや普通にタフなので早い。
息も切れるそぶりもない。

ハアハアしてると、
大丈夫?
靴が悪いの?
進まない方がいい??
と 本気で何度も心配される。
答えは毎回こう。

靴は全然問題ないの
体も大丈夫、
ただ遅いだけです。

という悲しい会話を何回この丘でしただろうか。。

ぜええーはあーー軟弱。。

無線を発明したイタリア人グリエルモ・マルコーニの資料館
「マルコーニセンター 」
この丘の上は広く
とにかく一面緑。そして海。
ここから無線通信の実験を行ったそうな。
1800年後半から1900年の初頭の方。

そこここに 見かけるまあるい芝生
自然にできた丸い草むらに
ハマカンザシの花が生えてるのが キュート。


そのまた先の崖まで歩いたら
崖っぷちの民家がポツネン。

Carrag luz / love rock

また別の入江
この寒さお構いなく
海パン一丁で遊ぶ少年たちと
一緒に遊ぶお父さんと冷静に見守るお母さんと遭遇。
寒くないのかって聞いたら
震え上がった状態で寒いって。。。
えとーえとー。自由です。
気温は10度以下。

どんぐりマークはナショナルトラスト印。
ひたすら崖っぷちの道でも
こういう印はある。
人を守るものは一切ない、
潔いワイルドさ、いいですね。心臓に。

大きな窓のあるホテルのカフェで
地元産のアップルサイダー(リンゴのお酒)を飲んで上機嫌な人。
この空間、ブルレック兄弟の椅子が映えるんだなー左端のピンクのやつ

距離感がいまいちで
まだ歩ける?うん歩ける。
帰り道もあるんだよと
ちょいちょい聞かれながら
自分の感覚も確かめながら
でも足元の素敵な植物も見るし、
周りの海も見るし、
崖から落ちないようにしながら岩も触る。
石も拾う。
キャッチすることがいっぱいで
それでいてヘザーの背中をちゃんと追いかけて歩きながら
ハアハアいっぱいいっぱいになって考えたことは
自分が何者であったとしても
ヘザーは何も変わらないんだよなあってこと。
国籍も性別も、今自分をカテゴライズするものすべて。
だから自分が何を考えたり
何をする人であってもいい。

自分ってこういう人だと考えてたこと
人からアナタこうよねって言われたこと
あらゆる私を定義するものは
この丘歩きの中で持ちきれない、
もしかしたら持つ必要のない荷物のように
ぼろぼろと落ち切っていくような気持ちになっていた。
あーいいんだ何者でもないし、何者でもいいし。
鼻歌でも歌いたいような軽さと
思い切り息切れの現実のはざまで。

そこで側にいてくれるフラットなヘザー長年の在り方と
コーンウォールの風。

まるで厄除けのようにヘザーのキルトを眺め心は萌えつくして
海歩きで、ばっさりと今までの自分を振り落とした。

marumocci art shop
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