5月にアンデパンダン展でご覧いただいた染め絵作品の「いのり」です。
個人的な悲しみの中で、もしこれに向き合うように、ここで見つけたことをもとに作品を作ることができないだろうかと。気づけば連続して祈りのシリーズを製作してきました。染め絵はタイミング的にも集大成になりました。
私にとってのこの悲しみの元となった人は「西の魔女が死んだ」の魔女のおばあちゃんのような存在であり、酔拳の師匠のようでもあり、ただただ変わらず愛あふれ心のままの飼い犬のパグような存在(これが一番しっくりくる)だったこと。そしてパグはおおよそ天寿なのかどうなのか微妙なお年頃で、なんだこれ?なんだこれ?って考えているうちに(実は後からあれはカウントダウンだったと気づくが、)今かよっ!!て感じで突発的にあの世に旅立ってくれちゃって、あの世への旅立ちにまつわるもろもろは、心をえぐられる側面がある一方で、あの意味不明なカウントダウン見れてよかったなとか、人生に幕を下ろすということは興味深い体験かもしれない、私も生き切って死んだろう、バカヤロコニヤロって気持ちも時々はさみながら何だかんだ自分を励まし続けることになった。
それにパグの人生後半はそれぞれが自分の人生を生きることを大事に見ていてくれて、誰かが誰かの人生の犠牲になることを決して望んではいないことを言葉にならないところで亡くなるその日まで表現しつづけていたし、ただのパグだと思ってズボンが破れて買いたいーとかいうと、パッチワークすれば?ってすかさず返ってくるような油断のならないところもあったから。
だからパグのあの世行きは「悲しみに暮れてくれ」というメッセージでもなく、「それで君はどうするんだい?」って問いのようでもあった。
そしてパグが(一応人間だけど)あの世に行って、祈るという行動や遺品整理の日々の間も、こちらが調和のとれた状態でいれば、ちゃんとシグナルを送ってくれていることを目にすることができるんだなあとじわっと実感することができた。そこらへんの神さまを探すくせがついているのもあったかもしれない。
悲しみって一体何なのか。人を弔うって何なのか。生と死は自分にとってはどういうものなのか。そんな日々から見たり感じたことを何度も描きとって、慣習でなく自分なりの方法であの世とこの世の自分を愉快に励ましあうエネルギーを作り続ける、問うては答え、形にし続ける対話の記録が「いのり」なのです。