そこらへんの神さま絵にいたるまで

神さまスケッチ(現:そこらへんの神さま絵)を二か月くらい続けた後に
デザイン学部時代の同級生に
「絵を描く技術ってさ、練習の回数と別に
年齢とともに上がるところってない?」って話したら、
「あたりまえやろ、物事の捉え方が増えてるんやから
二十歳の頃と比べたら全然違うやろ」ってバッサリ。
私の目はピッカー、
ウロコドッサー(落ちた音)となった。
確かに物事の捉え方、別の側面から見る
切り替える、難しく失敗も多いけど、
こういうことをどんだけ今まで取り組んだだろう。
神さまスケッチも、そういうことかもしれない。

2015年の冬に都心の広~い道の真ん中を
ニヤニヤスマホを見ながらあるいていたら、
突然向かいから来たらしき知らない人に
体にグーパンチを入れられたことがありました。
一瞬何が起きたかわからず、え?この道幅で?
邪魔だった?ビックリなのとショック
しかも振り返って立ち去る姿は、真っ当なと言うより
かなりのエレガントなコートを着た女性の後ろ姿が。
起きた出来事と目の前の光景のギャップと尋常じゃなさに
とぼとぼ立ち去ることに。

その時思ったんです、
この気持ちを大事なお家に持って帰りたくなーい
誰にも愚痴りたくなーい、
ふだんは結構愚痴るくせに、その日に限って妙にそれが嫌で
(これをやさしい人に話したら同じくらい傷つくから)
とりあえず日枝神社の階段登って風に当たって思い出したことがありました。
二か月前に四国に会いに行った友だちのこと。
いっしょに瀬戸内海見て、ランチして、海見て、コーヒー飲んでだべって、
最後に駅でハイボールのんで、その間ずっと楽しかったこと。

楽しくって楽しくって、
今この瞬間にどんなことが起きても
不機嫌になりません、
楽しむことに全力で集中しますって、
何かに誓いたくなるような
とてつもない楽しさのことを思い出してるうちに
ほんとに穏やかになって、
いつでも自分の心はピースフルな状態でいられる自由さにほっとした。
それで、こんな風にいつでもこんな自分に
戻ってこれるようなこと出来ないかなあと考えていました。

それと2015年って年は人間が宗教を元にして
異なる他者をこんなに攻撃できるのか?ということがたくさんあって
命も家や故郷を失う人たちもこんなにさ作り出して
一体何なんだろ。
それで目に見えない世界の話をするのって
人のそういう類の話も誰は正しいホンモノとか
そうじゃないのは??排除?
ちょっと怖いなって思って
閉ざしてるモードに入りがちだった。
こんな時こそ自分の避けがちなことに取り組まねばと。

そこにそういう心がツベコベ言うのを一掃しちゃう
まるで白馬に乗った王子様が出てきてハッピーエンド級な
秩父三峰での旅があり(旅の日記はコチラ
いかなるキッカケがスタート地点にあろうとも、
ポジティブな方に変換したものを創造しようって。
三峰山で味わった空気のような何かを!

そういう一つではない背中を押してくれる
ポジティブもネガティヴも含めたいくつかの体験と
自分の感じた日々の神性を感じるものを
まずは自分のために描こうよーって なっていったのです。

7/4~16「代々木らへんの神様絵 -森が、く~る~~ぅ♪」
そこらへんの神さまスケッチの販売について
marumocci art shop

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