最近は食べ物を盛り付けるフードコーディネイター的なお仕事をいただいたりと、絵も染めもやりつつ チャンスがあれば興味のあることはジャンル問わずチャレンジ中です。
(子ども向けソルガムきびのレシピブックの製作に関わらせていただいてます、とっても美味しい)
ある時、初対面の方に どうしてそんなことが出来るようになったのか?と同じ場所で何度も聞かれると、出来て当たり前のことだったことが、多分どこからを起源に出来るようになった時点というものがあるんだなと考えるようになりました。
バイトでいろんな飲食店で働いていて緊張感あふれる中で学んだことなのかな?とかめぐらしていると、もっと時代を遡る中学生の頃に祖母の手伝いをしていたことが思い出されました。
祖母の和食関係の仕事でお茶会用の小さなお弁当だったりデパ地下に出すお弁当を板前さんのお手本を元に盛り付けていくのを(多分小遣いをあげる口実のように)手伝わせてくれてたのです。
その時の作業に夢中になる感じとか、緊張感と安心感、祖母が盛るキラキラした炊きたての豆ご飯の輝きと豆の色の美しさ、そして彼女のいつも水仕事をしている人特有の皮膚が赤くなっている感じとか。その全てが素敵で不思議と今でもリアルに思い出すことができた。
今の自分に導く大切な創作の原体験なのかもと考えていたら、人間が次の世代に引き継げるものは こういう面白かった体験によって引き出されたものなのかも知れないなと思いました。
なんて、形見でもらった指輪も直後に失くしてしまっている言い訳・・・でもないと思うんだけど。物質だけに限らず家族に生まれて未来へ繋いでいけることはこういうこともあるのかも知れないなと思うのです。
実家を離れた後にも和食器への興味や疑問で懐石料理店でバイトをしたり、そんな現在と過去のいくつかの体験、与えられたものと選んだものの両方が重なって今があるんだなあと考えながら歩いてたら、ありがたくて妙に幸せな気持ちになって、顔をあげたら空に綺麗な光が現れて、あちらとこちらの世界がいつも隣にあって、頭の中での出来事に空が応えてくれてるようなハーモナイズな日、これは祝福だなあと 静かに感動しました。