私のアジール

大好きなラジオ番組の「高橋源一郎の飛ぶ教室」でよく聞く言葉
“アジール(聖域)”
今週その言葉が発せられたのは 彼にとってかつてのツイッターだったり
今はラジオがアジールだというくだりで。
なんでも言っても良い自由ではなくて、普段できないようなことを考える場。
普段やらなきゃいけないことがいっぱいあるけど
夜の時間だけは自分のためだけに考える。
そういう場所としてのラジオ。
でもそこに社会の言葉が入ってくるとお前はどっちだ?とか
もっと早く便利に・・って価値観によって言葉が汚染される
そんなような話だった。


自分は気ままに面白いものだけ見てやっているつもりでいても
SNSで人の様子だったり、情報探しに目が行って
影響を受けてしまうことがある。
いいようにも そうでないようにも。
そこで使われている言葉に触れ、
そこで湧く自分の言葉を見直してもまた
一体言葉ってなんのためにあるんだっけね?
ブログもどうなんだろうってちょっと立ち止まっていた。


先週の飛ぶ教室では小倉孝保著『100年かけてやる仕事 中世ラテン語の辞書を編む』が紹介された。
100年がかりでほとんどボランティアの人々が
生きている間には完成しないであろう辞書を作るのに関わった実際の話。
https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/gentobu/eFvWUO_k9A.html

こういう感覚が遠くなってることに こりゃまずいぞって気になった。

なぜだか急に思いたって数日前に5月中は毎日更新してみることにした。
誰かに何かを伝えるというより自分のために。
日々出会ったことやそこから考えたこととか。

そうするとブログを書くだけでも、
何かをすることに対して今すぐ反応が返ってくることを期待をせず
創造的に取り組みつづけることで
私のアジールを作ることが出来るんじゃないかという気がし始めている。

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