生と死と再生の中で

去年の今頃からケルトブームにほんのり火がついたためか、本当のところ目的不明なのかもしれないイギリスへの旅の途中書いています。

ケルトで描かれた 生と死と再生を表す三つ巴の渦巻き文様や その三つのつながりが 一年という中にもあるという『ケルト再生の思想』の著者 鶴岡真弓先生のお話を聞いて引き込まれた。

そんなある日風邪をこじらせて 寝込んで、ウトウトしながら首痛い、背中痛いなど気になりつつ、頭の下に枕以外の座布団を敷いてみたり するのだけど どうにもこうにも合わないと半分もだえ うなされながら 寝てた。

そこにつけたままの東京MXテレビから トゥルースリーパーの宣伝が聞こえてきた。

背中から首頭にかけて その枕で眠り始めて全然痛みがないんです!というエピソードの連続。あー私トゥルースリーパー月々2980円無金利で買わないとなあとか 熱治ったら買おうかなとか、少し自分のケアを振り返った。栄養を取れていたのか?とか 休息や 労働のバランスどうだったんだろうって。ごめんなさーいってことばかり巡る。

そんなヨボヨボな時 なんとか口にしたのがミカンだった。

しみた。

その時一番に思ったのが、結局ほかの生命に新鮮なタイミングで死んでもらわないと生きられない生き物なんだなーってこと。

風邪を治すにも腐ったミカンより 新鮮なミカンでしょ。

身を包む衣類の繊維だってそう。

別に好きで生えて枯れたものを拾ったんじゃなくて 刈り取るために育て、それで身を守る。

地球上の資源にも いまの姿を終わらせて物質によっては戻れない違う姿になってもらってる。

あらゆる生命に対してグローバルな規模で 「御命ちょうだい!」を繰り広げ 刃物振り下ろしまくりなんだな。直接間接問わず。ちょっと正直 リアル罪深いじゃんって気までしてきた。風邪のせい??

とにかくそこでは食べて元気になったり、肉体が成長したり、仕事したり、なんらかのアウトプットをし、ミカンのエネルギーの生まれ変わりが起きるんだと。

この一つの肉体の中で別な生命の死と再生と生が起きてる。

鶴岡真弓先生は ケルトは死から始まる。芸術も絶望だったり 死というものからの再生、生の循環だとおっしゃってらっしゃったが、本当に人間は そういうオワッタ的な感覚からの再生をしていくものだと見ると なんとも頼もしい。

そんなこんな思いながら 飛行機に乗ってケルト文化の影響の残るコーンウォールで 光の季節の終わり10月31日でサウィン(ハロウィンの起源)を迎え、死者のエネルギーをいただき、闇の季節の始まりを味わいのか。

どんなものか・・かなりのローテンションで楽しみにしている。

あーもうすぐロンドンだー

スマホカバーのペイントは自作の三つ巴