テノリイノリへ その3 「祈りの絵」

さて父を見送ることになり、ある意味人生初の身内が死んでるところを見つけてしまった緊張、体の内側に起こる爆発的な悲しみ、やけくそ、やっぱり生きものが生きてるのと死にましたの違いなに??時間って戻らないだっけ?そんなことも気になりながら、伏線を引き来るべき時が来たんだと納得だって起きるの渦の中。
思い返せば大切な人と突然死別することはもう何度目か。それもそれがやっぱり互いの約束だった気がして仕方ないのも何度も知ってる自分、そして制作では そこらへんの神さま絵をいかなる気持ちの日も描いてきたし(そこらへんの神さま絵とは)、クリスマスシーズンのアドベント(降誕節)を毎日祝うように欠かさず描いたもう一人の自分はこう思ったんです。

「こんな気持ち 一生続かない。」
思い出すことはあっても毎日じゃないの
今の自分の心から見えてる世界を描かないでどうすんだ?
ディス・イズ・そこらへんの神さま絵スピリットですよ。
どんな日もいかに祝福して終えるかだから。

そのうえ時折襲いかかる二日酔いの吐き気のように 悲しみの波と波の間に。
(お酒飲まない方は胃腸炎みたいな波をイメージしていただいても大丈夫です)
シラフの自分が語りかけるんです。
「今日の悲しみは明日の悲しみと同じじゃないかもよ」と。

よその人に全く関係ない、自分自身へ今問いかけておこう報道精神のような
描き留めないといけないって思い、誰の何に役に立つとか立たないとか関係なく、
己とあの世の父ときっといろいろいるはずのご先祖さん?
スピリットによろしくって言うため。
早速通夜の中、父の残した酒を皆でかたっぱしから空けながら、描き始めた。
それも父の亡くなる前とその後のキャッチしているものの違いがあるので、
ダッシュでで以前に軽く受け取ていたものは描きつくしては次へ。
その間にも自然は慰めてくれるように日々美しさを増し
色んな表情を見せるのでそれも描き留めて。

「しぶんぎ座流星群の夜/ The Night of Quadrantids」

それが終わったら、マイオリジナル祭壇を作り
父のなんちゃって遺影を飾り、
お香かセージの煙、ロウソク、あと親鸞聖人?みたいなプチ絵画を飾って
チベタンベルを鳴らして なんでも知ってるフレーズを唱えて祈り出したんです。

そうすると毎回違うビジョンがやってくる。
これまた描かねばと。カサコソ。
だから2017年は「祈り」とか「いのり」って名前の作品がブログに山ほど出ています。
(検索かけてみてください。)
祈れば祈るほど出てきますから。
この時の祈りは基本自分と関わる人や存在とのものでした。

やっと祈りだしたところで続く・・・

過去の記事
テノリイノリへ その1「オラクルスナックの祈り」
テノリイノリへ その2「伏線の回収」

3月19日-31日 「テノリ・イノリ絵巻」展
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