いつまでたってもイノリ

今日なんの偶然か、
友人が私の古いブログ記事をイイネしてくれて
つい読んでしまった。

2011年のマルモッチのキルト作品展「もしもし、わたし。今、地球にいるの」展で考えていたこと」
という記事だった。

(抜粋)
「私の気持ちはたいてい9割方怒りや不安にまみれていて
残り1割くらいが楽しい気分。
だから1割のことを忘れないようにキルトにしている。

ただ9割のネガティブだと思われる気持ちも否定しているのでなく
どんな自分にもOKを出して、
この世界もどんな自分でもOKしてくれてるよ
そんな心持ちで
1割のポジティブな感情やそれを支えている世界に
フォーカスする作業のようなものだとも思っています」
そういう話だった。

今のそこらへんの神さま絵を描くことと
あんまり変わってないあり方に吹き出しそうになった。
自分の書いた文章は年月を経ると別人の文章に見えるのだけど
方法は変われど知りたいこと
見つめてみたいことは同じなのね。

ただこの1割にフォーカスするということや
その積み重ねがより自分を楽しい世界に引き上げたり
新しい景色が見えること。
昔よりず~と実感している。

最近ハリーポッターの映画を見直しているのだけど
4作目の「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」
水の中で脱出するのに使った魔法
アセンディオ(上昇の呪文)というのがあって
心が見つけてくる神性なものを描くことは
自力で上昇する呪文を作ることにも似ている。
そして幸せな記憶で満たされることで作ることができる
エクスペクトパトローナム(守護霊よ来たれ)という呪文で
吸魂鬼(ディメンター)も追い払うことができる
そういう術の練習に似ているようにも思う。
創作の最中、出来上がったものを観ていただく最中
その空間には魔法がかかっているのだと思う。
などと熱く考えながら、
魔法の話を字幕で見ていると
黒い魔法の時に魔法って 「アーツ」って呼ばれている。
ARTってそういう意味なのよね。納得。


(コーンウォールで出会った大好きなマントヒヒ)

そしてつい古いブログのmarumocci についての紹介記事を読んでいたら(古いブログのmarumocci 記事は創作の動機とか大切にしていることを書いているのでよかったらどうぞ)
初めてキルトを習ってミシン刺繍をしている日のことが書いてあって
「キルトと出会う旅 コーンウォール編 その4」

「唐草文様をステッチした。
植物文様のつながり、
つながり、
いくらでも繋がっていきそうな文様。
この終わりない感じ
(中略)
作るというのは

この世界への祈りのようなものなのだと気づいた。 」って
ちゃんと書いてあった。

テノリイノリからでもなく
そこらへんの神さま絵からでもなく
最初っから ずうううううーっと祈ってた。

ズッコケたい気持ちでいっぱい。

そこらへんの神さま絵とは?
★ 1月4日〜20日「一人一展」
marumocci art shop

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on TumblrPin on PinterestShare on StumbleUpon