母の美

  
自分の母親の性格や言動に問題を感じたり

うちのお母さん料理下手とか最近は老化しちゃってとか聞くけど
うちのお母さんブサイクなんですって言う人に未だ会ったことがない。

着てるものがダサイとか、こんなの着ない方が良いとか
太った、老けた、とろくさい。。とかはある
そこの大大大前提に「お母さんは美しかったのに」とか
「美人だったのに」が入っていないだろうか?

(美しいのに)服がださい
(美人だから)こんな服着ない方がいい
(やせて美しかったのに)太ったね
(若くてキレイだったのに)老けた~

このようにです。
状態を説明するには元々の基準があってそこからを数えるとしたら
やっぱりどこかに(美人のはずなのに!)があるのです。
しかも美ってあんまり意識してないことの方が多い。

70歳になった母親の老化っぷりを嘆く友人の話を聞いても
そもそもそのお母さんのことを綺麗だと思ってたという話が端々に聞こえてきます。
あの美しかったお母さんがおばあさんになったショック。
そりゃ20代で初めましてだったお母さんが
70代になったら流石に違うよって思うけれど
最初のひな鳥だった時のインパクトのように
子どもにとっては絶対的な美の基準になっているんだなあ
そんな事を最近観察しています。

実は私は子どもの頃は母を見て
オードリー・ヘップバーンかな?とか何の迷いもなく思い
逆にオードリーヘップバーンを母みたいと勝手に思ってたもんです。
(注:実際は田舎の普通の化粧気のない普通の女性です)
なので小さいお子さんがいる家のお母さんは早めに
誰に似ていると思っているか聞いてみた方がいいんじゃないかとたまに思う。

その後私は中学校高校に上がっていくにつれて
母が病気をして寝込んで布団で寝ている顔が
たけし軍団のダンカンそっくりに見えるようになってしまい。
次は元気になって年を取って迫力がましてくると
ビート・たけし
勿論テレビでたけしを見ても親しみをどうしても感じてしまう。
たまに母に睨みつけられると雄鶏にも見えるし
荒れた手はオーストラリア土産のトカゲの手のキーフォルダー

それは決してブサイクになってきたという事でもなく
ユニークに迫力が増したな・・・というだけで。
関係性の投影かな。

ただ記憶にはっきり残ってなくても無意識でも
子どもが生まれて一番最初にキレイな女性と思った人は
母なのではないだろうか。
嫌がろうがなんだろうが、知らず知らず美の基準は
どこか母からやってきていると思う母の日でした。

marumocci art shop

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on TumblrPin on PinterestShare on StumbleUpon