テノリイノリへ その1「オラクルスナックの祈り」

昨年2017年の1月30日~2月開催しましたオラクルカード原画展『オラクルスナック「天国と極楽~ときどき地獄~」』はどこかでお話ししているかもしれませんが、タイトルコンセプトはオラクルカードのお披露目と我が父への感謝というのがありました。

自分が無事に成人するまで生きてこれたのは、下世話ですが父の稼ぎのおかげで。しかもまあ長いこと学生でデザインの勉強をしたり、外国に行かないとまずいと騒ぎたてては家族のだれ一人賛成する者もいないのに(父も一度も どの選択にも賛成したことないのに)半ば金銭をむしり取るが如く希望をかなえさせてもらったこと。そして同じ労働でも地方と都会では得られる対価がまるで違う。それなのにここまでやってもらったこと。
そこまでやってくれても、一度も自分たちの家を誰かが継がなければとか子供は?とかのプレッシャーも与えず、冗談で「ここまでかけたお金はいつ戻ってくるのかな?」とふざけて言うこともあったけど(本気にするべきだったかなあ?)何かを与えることによって人を思い通りに動かすところが一つも無かったのが自分が年をとればとるほど、これすごいことなんじゃ?と思うことが度々ありました。
そして着るものの色合いに全くダメを出さなかったのも父で(お陰ですごい自由すぎて社会になじめてませんけど)私の能力を伸ばすのに欠かせない存在への感謝です。

彼の一生のうちの仕事で好きだったのが、私が幼いころに見ていたスナックのマスター時代。夕方みんなで晩御飯を食べてから、身ぎれいにしていい香りをさせて出勤していく。その後の仕事場での印象や実家の割烹での宴会の姿も混ざっていると思うけど彼は基本言葉が少ない、声がいっぱい出てるのってカラオケの時。だけどそこに集まっているおじさんたちはいつも楽しそうで、お喋りなおじさんがいつもよく父の周りではお喋りしているのが印象的だった。
とりわけスナックって食べ物は少ないし、水割りウイスキー飲んで、カウンターにいる誰かと話す。
スナックの何がいいのか。。。
私の好きな吉本ばななさんの小説で「スナックちどり」でも書かれている
「スナックは行き場をなくした人たちの最後のよりどころなんだよ」
「私たちがいなかったら 世の中もっと悪くなってる。だから私は自分の仕事割と気に入ってるんだ。」
この二つのセリフに尽きる気がするのです。

《これまでのスナックにまつわるブログ記事》
「スナック」
「オラクルカード原画の展示がくれたもの」
「スナックにまつわるえとせとら」(吉本ばななさんの小説の話もここでも書いています)

そしてに私から見ると父はどんな仕事をしているときも仕事をしていなくても様々な社会的な立場の人たちとも関わりながら基本はスナックのマスターのような人だと思っていました。
家族に背負われながら父の顔を見にくる友人に、足腰弱ってるなら足腰鍛える器具を持って帰ればってあげたら一週間後に新聞のお悔やみに出てたと驚いたり、よくそんな亡くなるちょっと前に会いに来てた人の話は聞くので自覚は少ないけど最後に会っておきたいマスターだったのだと思う。別に何かそれがお金を生み出す仕事というわけではないけど人間には食べていく仕事と食べるだけではなくて役割としての仕事があるんだなということも一生マスターな父を見ていて思ったものです。そんな広い意味でのスナック、そしてそんな場にはいつも言葉は少なくても重い小さなや言葉や、いてくれるだけで何かがあったんだろう思う。それが私のルーツの一つという気持ちでオラクルスナックのコンセプトが出来上がっていったのです。

その父も年老いて体も不自由になったり復活したりを繰り返し、そんな役割があったりなかったり、とうとう無口で本能的な大型犬なんじゃね?一軒家で一人暮らしで即身仏にでもなる気かな?とよく冗談で母と言ってたものですが、このオラクルスナック天国と極楽の始まる数週間前のお正月、突然死んでしまいました。
妙なところで区切りますが、続きます。

3月19日-31日 「テノリ・イノリ絵巻」展
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